■ 投弾(とうだん なげだま) ■ 琴柱形石製品(ことじがたせきせいひん)
■ 脚付無口壷(きゃくつきむけいつぼ) ■ 金銅装刀子(こんどうそうとうす)
■ 浜山・花見古墳(3号墳)の銅鏡
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投弾(とうだん なげだま)の図  パレスチナ市民とイスラエル治安部隊との衝突がテレビで報道されていました。
イスラエル治安部隊の自動小銃が火を吹き、パレスチナ市民は投石で抵抗していました。
素手で石を投げつける者、石を帯状の投擲具にはさんでふりまわして速度をつけ、投擲している者もいました。
実は弥生時代前期から中期頃にかけて投弾と呼ばれる石製品(石弾)や土製品(土弾)があります。
 長さ4〜5p、径2〜3pの紡錘形(ラグビーボールに似ている)をしたもので、これの使用は投擲具を使って行うのです。
 鹿部東町遺跡から9個の投弾が出土していますが、大きいのは、長さ5.5p、
最小は2.95pありました。
「東町遺跡では土弾と共に石製投弾とおぼしき小石も多数出土している」(鹿部遺跡1973)弥生時代は戦いの時代ともいわれます。稲作と共に、水や土地にまつわる集落間の争いが絶えませんでした。
投弾に緊張の時代が感じられないでしょうか。
 
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琴の弦をささえる琴柱に似ているところから名づけられた装身具の一種です。出土例は少ないものです。
古墳の中の頭部付近から発見されることが多いので、頭部には霊魂が宿ると考えられていましたから、護符か、僻邪(へきじゃ)の意味をこめて置かれたものか、頭部の飾りとして使われたものでしょうか。
 ここに展示した琴柱形石製品は、花見の国道495号線沿いの丘陵地に3基の古墳があり、昭和57年に発掘調査が行われました。3基とも墳丘は削られていましたが、1号墳は長さ約13メ−トル、中央に割竹状木棺があり、ここから銅鈴、銅釧、鉄刀や剣が出土しました。
2号墳は1号墳の一部を削って造られた長さ16メ−トルの円墳で、中央に割竹状木棺があり、頭部の方から、琴柱形石製品2点と、勾玉や管玉などの装身具が出土しました。3号墳は14メ−トル、やはり割竹状木棺で、鉄斧や刀剣、それに銅鏡が出土しました。
発掘者は5世紀頃の墓で1号墳が一番古く、次に2号墳、3号墳としています。
また古墳の被葬者を1号墳は男性、2,3号墳は女性としています。古賀市では南原古墳からも1点発掘されています。
 志免町七夕池古墳では50代の女性人骨の頭部付近から2点、新宮町人丸古墳では男女合葬の女性頭部付近から2点出土しています。
琴柱形石製品はどうも女性の頭部を飾ったようで、その女性は、女酋か、シャ−マンのような人だったのではないでしょうか。


琴柱形石製品(ことじがたせきせいひん)の写真
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脚付無□壷 (きゃくつきむけいつぼ)の写真
 鹿部東町遺跡の第一層から出土した弥生時代中期の
脚付無頸壷です。
無頸壷に脚をつけ、胴部に貼り付け凸帯二条がめぐらされています。
外面の調整は縦横にヘラ磨き、内面はナデ調整され、丹彩は胴の
外面、脚部の内外面に見られます。祭祀(祭り)に使われた
ものでしょう。
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 花見古墳(現天理教内)は昭和30年(1955)に砂丘下から発見され、九州大学の鏡山猛、渡辺生気氏によって調査された。
古墳は、単室横穴式石室で石室は南北2メートル、東西3メートルの長方形単室で、
長さ1・5メートルの羨道がある。
副葬品は豊富で、装身具、武器、馬具、銅碗、金銅装刀子、土器類があった。特に金銅装刀子は全長23・5センチ、刀身4センチの儀式用のものとされ、この形は九州では例がない。時期は6世紀中葉である。
出土した土師器、須恵器の二点は、花見の江口寿一氏から館に寄贈を受け展示されている。
金銅装刀子(こんどうそうとうす)の写真
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浜山・花見古墳(3号墳)の銅鏡の写真 古墳は昭和57年(1982)に調査された。
今はパチンコ店や住宅となり、丘陵地も完全に消失した。粘土質の丘陵を砂丘が覆ってい。
砂丘下に古墳が三基、更にその下には弥生時代中期の住居群があった。
三基の古墳は12〜14メートル、中央に割竹形木棺があり、一号墳は男性墓、二,三号墳が女性墓で、二号墳からは琴柱形石製品(資料館だより2号で紹介)が出ている。
三号墳は三基のうちで最も新しい。棺外から2本の鉄斧、棺内からはガラス小玉、瑪瑙製丸玉、管玉、勾玉等、櫛は漆塗りの竪櫛が3点、四獣を配した銅鏡が一面、径12,1センチ、
腐蝕が少ない、ぼう製鏡。
古賀市では数少ない鏡である。海に面した古墳、被葬者は2人が女性である。シャーマン的な女性であろうか。
時代は5世紀である。
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